アクリルガッシュで彩色して完成です。
「lasthing night」
H190cm
永続する夜 という作品です。
実は前作「life」の一番右側にいた人をモデルにしました。(実在する人ではないです)




初めての木彫作品。
この作品で得た教訓は、「理想だけ持っていれば良い。あとは削るのも足すのも全て自由(良いと思うまでやり続けろ。失敗は存在しない。)」というものでした。
塑像をやっているときは当たり前すぎて考えもしなかったですね。でも木彫はあまりにも上手く行かなすぎて(仕事を進めるのが不自由すぎて)悟りの境地に至りました。
やっていることといえば本当に削るか足すかだけです。塑像ではあまりそういう考えにはならないですね。なんでかなって考えたんですが、多分塑像の場合開始後早い段階で思ったような形になってしまうからだと思います。
何もないところ(心棒)に付けたり取ったりして作るのが塑像。多いところ(丸太)から取っていって足りなくなれば足すのが木彫。
そういう考え方で言えば塑像は理想的な形に近づくのが圧倒的に早く、作品と格闘する時間がほとんどないのだと思います。(本当は、むしろ逆に粘土は無限に形を変化させられるので、極限まで探り続けて形を研ぎ澄ませていくことが出来るのでしょうが僕のレベルでは無理でした。少なくとも木彫を経験する前までは「形」に対する姿勢が甘々だったわけです。)
木彫は最初から最後まで目の前に作品が存在し続けて、自分が満足するところまでやり取りをし続けられるというところや、素材に刻んだ仕事の集積がそのまま作品に反映されるということに感動を覚えました。塑像では型取りの段取りや焼成の手順、仕上げの手順なども同時に考えていく必要がありましたが、木彫は常に目の前の「作品」に集中するだけで良いので作品を制作している実感をダイレクトに感じ続けられました。
また「素材感」という面での充実感も格別でした。これまでテラコッタや石膏で作品化してきましたが、そこまで自分の作品に合っているようには思えていなくて。(よくないけれど、何となくという感じ。)
「木」という実材の強さと、素材に重ねた仕事の集積(時間の集積)が作品をより強化して見せてくれているようでした。彩色することも自分にとっては新鮮で新たな扉を開いたようでした。
様々な発見のある作品だったと思います。
いや、むしろようやく彫刻の始まりに立てたような感じでした。
ちなみに割と大きめの作品ばかりを制作していますが、自分の中で作品のスケール感というものはかなり重要で、大きな作品がより大きな空気を纏うことで作品に強く没入できるという感覚があります。アトリエの室内全体の空間を作品が変容させるようなイメージでしょうか。作品が作り出す空間に身を委ねたいという思いがこの大きさにさせているところはあります。
サイズが小さいと纏う空気の量も少なくなってしまうのでどうしても入り込めないというか、現実に戻されてしまうような感覚になります。
前にも書いたかもしれないですが、なぜ作品に没入する必要があるかというとそもそも作品を作る意味に行き着くのですが、
僕にとって作品は自分を映す鏡のようなものです。作品が女性の形であろうが老人の形であろうが全て自刻像です。
モデルはありません。誰でもない誰か。所在不明の人物。生きているのか、死んでいるのか、眠っているのか。
不明確な存在、不明確な状態であるのと同時に感情もなく純粋な存在。あるいは殻、または器のような在り方。
僕は作品と向き合っているときに意識が作品と同化して浄化されて戻ってくるような実感を持って作品を制作しています。(もしかしたら作品と自分を重ねることで自分では気づいていない自分の深部にある純粋な部分に触れて自分を再確認することに意味を感じているのかもしれません。)
なので作品は「誰か」であってはいけないし、生命感を持っていてもいけないのです。(作品の中にすでに意識が存在していたら自分が入り込めなくなるからです。)
合わせて作品のスケールを大きくして、作品が影響力をもてる空間をできるだけ広げていくことで、ある意味意識の扉を大きくするというような目的があるのだと思っています。
このような目的で作品を制作しているので、僕の作品は誰かに見せるためのものでは全くないし、作品の意味は自分の存在でしか証明できないものだと思っています。
真っ当な作家は自分の作品を世に出して多くの人に見てもらったり、たくさんの人の意見をもらったりすることを前提に努力するところが少なからずあると思いますが、僕はそこから大分外れたところで作品を作り続けています。
一時期何年も団体展に出品し続けていた時期もありましたが、自分の作品にとっては良くなかったと思っています。やはり自分の作品は完全にプライベートなもので、表に出す意味はなかったですね。自分の中で留めておくべきでした。(それが一番自然な形だと思います)
作品を制作するモチベーションの全てが内的動機から来るものなのでむしろ逆に一人でモチベーションを失わずに続けていけるのかもしれません。
どれだけやっても足りなくて、生きているうちにできることが限られすぎていることに怖れを感じるくらいです。
自分はどこまでいけるのか。どこまで深められるのか。まだ先は見えないのは救いですが、行けるだけ行きたいと思います。