「今日も空は高く」
この作品のタイトルです。
形から作品を考えるのではなく、空間から作品を思い描くという事に気づいた瞬間浮かび上がってきた作品です。日常のワンシーンを彫刻にしました。
二人の関係性はどうなのだろう。
この距離感は何を意味するのだろう。
周りの風景はどんなだろう。
作品を見た時「形」に注目する前に、「空間」について感じることができる。
「空間」を表現するための作品。
これは僕が大学6年間の中で唯一、そして最大の理解でした。
↓完成作品




大学院1年の4月から制作開始。
この作品はモデルさんに来てもらって制作しました。
夏休み前に大学のアトリエで女性像の原型制作と型取りを行い、同時並行でガラスの作品の制作。夏休み中に家のアトリエで女性像の型に土込め、焼成。
2学期中に大学のアトリエで男性像の原型制作と型取りを行い、家のアトリエで女性像の焼成後の組み立てと仕上げ。同時並行でベンチの制作。(ベンチは庭の桜の木を切った材が放置してあったのを使いました。)
冬休み中に家のアトリエで男性像の型に土込め、焼成。
3学期以降大学にはほとんど行かずに家のアトリエで男性像の焼成後の組み立てと仕上げ、前回の記事の大型作品の制作を行なっていました。
本当に2年丸々かけて制作していた形です。

↓型に粘土を込めて外し、焼成準備のため乾燥させているところ。中は一定の厚みで中空になっています。
窯に入るサイズに分割してあります。バラバラで放置して乾燥させてしまうと、接地している部分が地面との摩擦で乾燥による粘土の収縮が阻害されて乾燥後(焼成後)断面が合わなくなってしまうので常に乗せたり外したり合わせたりしながら狂いを修正していきます。
ベンチの座面は傾斜をつけたデザインにしたかったので当然原型の段階から傾斜のついた台座に座らせて制作しました。

粘土の色が違うのは、粘土の種類が違うからです。肌は肌色、服は白です。基本的に作品に色は塗っていません。土そのものの色です。
陶芸でも表面を彫って別の土を組み込む象嵌という技法を使うことがありますが、この作品の場合言わばスケールの大きな象嵌。という事になります。
粘土によって収縮率が異なり、このような象嵌の仕方をすると焼成時に土の境目で割れてしまうのですが、実現するために粘土を型に込める時に裏側は合わせ目部分を練り混ぜてグラデーションをつくって収縮率の違いを分散させ、緊張状態であっても割れを防ぎ、表面だけかっちり分かれるようにしています。

↓男性像のズボンは黒泥という土を使いました。800度焼成ではグレーに仕上がります。本焼成(1250度焼成)までするとマットな黒になります。かなり好きな土で今でもよく使っています。
白系の土を本焼成で仕上げるとなんか深みがなく浅い感じに見えてしまいイマイチなので、単体で本焼成仕上げの作品の場合ほとんど黒泥を使っています。

髪の毛の表現なんかは今までしっかり完成度を上げた事なかったので苦労しました。
(今までは自分の形に抽象化してそれを様式みたいな感じでまとめていました。→過去作を見ると全部似たような感じになっているのが分かると思います。)
今回はそういった感じのすでに把握していることを一切入れずに限界突破した作品を目指していたので基本的にはやった事無いことばかりの仕事の連続でした。
まあ結果髪の毛の出来はまだ未熟というほかないのですが、この時は相当考えて試行錯誤したように思います。
(どの部分も同じパターンにならないように変化をつけると同時にどの部分も秩序から外れないようにする。その上で全体の印象をベストなものにする。→完全な形を目指す)

服のシワはだいぶ取捨選択し、作品として最適化しました。この頃は、というかこれまで1度も服を具象的に作ったことがなかったので、着衣のポーズによってできる布の変化を直接見てつくるという経験がとても勉強になりました。
その後も着衣での作品を制作していきますが、最初はモデルなしでも服を用意して自作のマネキンに着せて制作したりしていましたが、そのうち必要なくなりました。
→見なくてもリアルに作れる。という訳ではなくて、自分にとってはリアルに作ることが作品として良い訳ではない事に気づいたからです。リアルである必要はなく、リアリティがあればいい。という事ですね。大胆に省略して、作品として表現したいことが最大限引き出せるよう考えています。
(リアルな衣服の表現が重要なのではなく、衣服を含めた人物彫刻全体が一まとまりになって作品として完成できればそれがベスト。むしろ現実的なリアリティを表現で超えたいという願望。)
これで大学までのお話は終わりになります。大学では本当に沢山の作品を制作しましたが、全てはこの1点をつくるためにあったと言っていいほどこの作品には実感がありました。
それまでは暗闇の中光を求めてひたすら彷徨う迷い人のような感じでしたが、この作品の制作を経て、どこまでも広がる光の世界に抜け出せたようでした。
それまではつくってもつくっても成長の実感がほとんど得られませんでしたが、
「まだ彫刻でやれることはいくらでもあるな。」「今ようやく始まったのかもしれない。」
というように、この先の無限の可能性を実感することができました。自由を手にした感じですかね。
大学の最後でこれを知ることができたのは本当に幸運でした。
次回から大学卒業後の作品について書いていきます。未熟ながらようやく「作品」としてまともなものがつくれるようになり、色々なことを考えながら1歩1歩前進していきます。
引き続きご覧いただけたら幸いです。